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油揚げの歴史から《狐》の関係を読み解く

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日本人の食生活に不可欠ともいえる食材のひとつ、油揚げ。

古くから愛され続けてきた油揚げは名脇役でありつつ、時には主役をしのぐ存在感を持つ食べ物でもあります。

そんな油揚げの意外に知られていない歴史、そして《狐》との関係についてご紹介しましょう。

こうして油揚げは誕生した?

豆腐を油で揚げて作る油揚げは、長崎で南蛮料理としてポルトガル人により伝えられた天ぷらの種のひとつとして考えられたと言われています。

今でこそ、油揚げは独立した食材ですが、誕生した頃は、天ぷらの種類のひとつだったわけです。尚、当時は豆腐揚げと呼ばれていました。

油揚げは嗜好品(しこうひん)!?農民は食べられなかった??

油揚げは江戸時代初期の文献に登場します。

当時、油は高級品で主に行灯のための燃料として使われており、 庶民の口に入ることはめったにありませんでした。油揚げを食することができたのは身分の高い一部の人々に限られていたのです。

油揚げの原料の豆腐は五穀のひとつであることから、徳川家康、秀忠、家光は豆腐を贅沢品とみなし、 農民に対して豆腐の製造、ならびに食することを禁止しました。

例外として、お正月やお盆などの特別の日に限り、豆腐や油揚げを食べることが許されていたようです。

江戸初期に油揚げを食べることは、現在の嗜好品のように、贅沢な事だったわけですね。

江戸時代の油揚げは現在の油揚げと違うの?

江戸初期には高級品だった油ですが、江戸中期になると生産量が増加し、庶民にも手が届くようになります。油の普及に伴い天ぷらの人気が高まり、油揚げも日持ちの良い食材として、庶民の間に急速に広がっていきました。

江戸初期に油揚げを作るのに使われていた油は胡麻油でした。その後は菜種油が 、そして江戸後期には綿実油が使われるようになります。使用する油により、油揚げの色が異なるのをご存知でしたか?

胡麻油で揚げた江戸初期の油揚げは現在の油揚げに比べ、かなり濃い色であったと推測されます。

またいくら油が普及したとはいえ、 使用する油は必ずしも新しいものとは限らず、古い油を使用したこともあり、 何度も何度も油抜きが行われたようです。

油揚げと狐の関係とは!?

どうして油揚げを狐と呼ぶのでしょうか?

諸説ありますが、主に語り継がれているものをご紹介します。

 

・狐の好物はネズミであり、狐狩りの際、狐をおびき寄せるためにネズミのフライを餌として利用していた。

 

・ネズミの農作物への食害を防ぐため、ネズミを食べてくれる狐を崇め、お供え物としてネズミのフライを使用した。

 

・狐を神の使いとする稲荷神社で、供養のため油揚げを供えた。

 

ネズミのフライが油揚げに変わった理由は、仏教の教えに従い、殺生を避けるためといわれています。稲荷神社での供養も、獣を避けた結果として油揚げが用いられたのでしょう。

その他の説としては、単に狐の毛色と油揚げの色が似ていること、狐が丸くなった姿が油揚げを連想させるという理由から、このふたつが繋がったというものです。

「きつねうどん」はこうして誕生した!

きつねうどんの誕生についても諸説ありますが、有力な説として、大阪発祥説があります。

明治時代中期に大阪の老舗うどん店で、うどんとは別に、お皿に乗せて提供された甘く煮た油揚げを、お客がうどんに乗せて食べたのがきつねうどんの始まりといわれています。

お店独自の発案ではなく、お客さんとの二人三脚で誕生したのがきつねうどんなんですね。

油揚げまとめ

天ぷらの変わり種として生まれ、その後、縁あって狐と強く関わり 、お寿司やうどんと抜群の相性を発揮し、日本人の食生活に深く根付いてきた油揚げ。

これからも油揚げは変わることなく、食卓に登り続けていく和食の誇るべき食材のひとつといえるでしょう。

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